●13歳で周囲からの自立を考える
江口 李登輝さん自身についていえば、お父さん、お母さん、家族から甘やかされて育ちました。ところが13歳の時、「こんなに甘やかされて、いいんだろうか」と思うのです。いわゆる自覚する。「周囲に甘えている」「家族に甘えている」と。その意味ですごい人です。
―― 旧制台湾中学の頃ですか。
江口 13歳ですから、旧制中学だったかもしれません。それで自分で決心して、「親から離れよう」と。このままでは自分がスポイルされると。
―― すごい人ですね。
江口 そういうことを自分で考え、実行するのはすごいと思います。それで、150キロぐらい離れた淡水にある中学に自分で移るのです。自分の自我、自分の気性の激しいところを直さなければいけない。自分で自立し、我慢することを身につけなければいけないと、周囲からの自立を考えるのです。自立して自分の人生を生きることを13歳にして考えるのだから、早熟です。
―― すごいことです。快適な環境だからというのもありますね。
江口 李登輝さんの家は、そこそこ豊かだったんです。いってみれば小金持ちです。
―― 裕福だった。
江口 大裕福ではないけれど、そこでは生活に困らないし、甘やかされる。自分がスポイルされる、ダメになってしまう。そう考えて、そういう行動を起こすのです。
だから中学に行ったら、トイレ掃除など、いわゆる人が嫌がることをどんどんしていく。それが自分の向上につながると考え、実践していくのです。そういうところが並みの人ではないと思います。
●李登輝と交わしたキャッチボール
江口 やがて高校へ進み、大学は京都大学農学部に行きますが、それまでの間にいわゆる日本や西洋の古典を読みあさっていくのです。例えばトーマス・カーライルの『衣装哲学』とか、フリードリヒ・ニーチェの本とか。日本でいえば倉田百三の『出家とその弟子』、西田幾多郎の『善の研究』とか。
だから李登輝さんと話していると、博識というか、次から次へ、いろいろ話が出てきます。カール・マルクスも出てくれば、カーライルも出てくる。非常に勉強家というか、とことん突き詰めていく人なのです。
―― すごい人ですね。
江口 李登輝さんの別荘の1階と地下に書庫があり、1万から2万冊ぐらいの本が並んでいました。岩波文庫が全部揃っていたでしょうし、それ以外も日本の古典はほとんど揃っていました。しかもすごいのは、全部読み切っているのです。そして「ここには何が書いてある」「鈴木大拙はこういうことを言っている」「西田幾多郎は『絶対矛盾的自己同一』を言っている」とか。そういう話がどんどん出てくるのです。
私も高校の頃からけっこう本を読んでいて、西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」や『出家とその弟子』、あるいはニーチェの「永劫回帰」などを知っていたから、けっこうやりとりができました。だから李登輝さんとしたら、面白かったのだと思います。いわばキャッチボールができる。
キャッチボールができなかったのは、「メメント・モリ」です。「何ですか?」と聞いたら、古代ローマ時代の言葉で、「死を想え」という意味らしいです。将軍が凱旋して、凱旋パレードの後ろで「メメント・モリ」「メメント・モリ」、つまり「勝ちに驕るなかれ」という意味合いを込めて言った。それが後にキリスト教に入ってくるのです。
そのメメント・モリ、死を想うことが、李登輝さんに言わせると人生や生きることを考えることになるのです。人間は死ぬ。誰でも死ぬ。だから限界がある。だから今を充実して、日々を怠りなく生きていくべきだという発想になる。そして「死」=「生」になるのです。
―― 死生観が固まると、生き方が決まるということですね。
江口 それが「絶対矛盾的自己同一」につながっていくのです。
―― 西田哲学にもつながるのですね。
江口 そういう話の中で、「メメント・モリ」という言葉が出てきたのです。他に台湾の政治や日本の政治について議論をしたり、台湾はどうあるべきかを聞かれて私が答え、さらに質問を受けて、といったやりとりもありました。「台湾をこのように統治していきたい」といった政治体制的な話もしましたが、思想的な話もしました。
だけど政治の話にしても、あるいは日本の話をしていても、総統の立ち位置の根底はここなのです。
―― なるほど、「自主自立できる」、その考え方が一緒なんですね。