●日本で「教養」という言葉が出てきたのは明治時代
津崎 そうすると、「教養」という漢字をちょっと崩したくなってくるよね。だって教えるとかじゃないし。養う部分はいいにせよ、ね。
「教養」という言葉が日本で自覚的に使われ始めたのはいつぐらいか知っている?
五十嵐 知らない。
津崎 調べてみると、1904年から05年に毎日新聞に連載されていた木下尚江という人の『良人の自白』のなかで使われている。教養という言葉自体は『後漢書』という中国の古典の文献に出てくるらしいんだけれども、1904年から05年といったら比較的新しい言葉だよね。まだ100年ちょっとしかたっていない。
五十嵐 明治時代か。たしかに。
津崎 そう。その後1912年に大正になって、和辻哲郎や阿部次郎や安倍能成という人たちが、「教養」という言葉に「人格を学問と芸術によって、知性や人間性を高めていくこと」なんていう意味を付加していった。
本来であれば単に教え授ける「教授」と同じで、子どもに教えていくような意味だったものに、「人格をつくり上げていく」という意味が付加された。「大正教養主義」とか言うじゃない?
でも、教養というものは、「わたしの人格を学問と芸術によってつくり上げていく」ことだという、いわゆる一般の定義から少し外れて、「他者と友である」ということになってくると、教養というよりは……。
五十嵐 「他者と」というか「他者の」かな。
津崎 「他者の友」ということになってくると、別の日本語を当てたくなるよね。だって、それは教えるとかなんとかいうことではないし、養うということではあるかもしれないけれども。
五十嵐 うん。たしかに。でも、教わるということはあるかも。
津崎 かもしれない。
●福沢諭吉が『学問のすゝめ』で説いた「修身」は不可欠
津崎 同じような言葉に、身を修める「修身」とか、同じ修めるに養うの「修養」という言葉があるね。
福沢諭吉が『学問のすゝめ』のなかで、「実学とはこうである」ということを言っていて、一般に「教養は役に立たない」と言われるけど、彼は「修身」という言葉をそのなかで使っているね。
「修身とは何か」というと、要するに心の問題だということなんだけど、それを扱うことも実学にはすごく重要だと言っている。お金を稼いだり、国を興したり、経済を豊かにしたりということのために、実は心の問題もきちんと扱わなきゃいけないと福沢諭吉は『学問のすゝめ』のなかで言っている。
そう考えてくると、修身や教養は全然役に立たないものでないどころか社会にとっても重要だし、もっと言ってしまうならば僕たち人間にとって不可欠。
五十嵐 うん。世界平和のためにね。不可欠。
津崎 だってそうだよね。「友」だもの。
五十嵐 そう。だってコロナの時、本当にそうだったの。わたしは東京だから、特に(2020年の)4月とか、一歩も外に出ないのがすごく苦痛だった。でも、その時に「自分のために外に出ない」という選択だと、だんだんストレスがたまってくる。
うつらないように、うつさないように外に出ないという選択だと、どんどんストレスがたまるんだけど、そうじゃない、と思って。
イタリアはすごくひどくて、たくさんの人が亡くなっていた頃だった。わたしが外に出ることが、もしかしたら何かのきっかけになって、イタリアで死ぬ人がまた増えるかもしれない。アフリカで死ぬ人が増えるかもしれない。そういうふうに思ったときに、わたしは人類の一人として、外に出てはいけないんだ、と思った。
全然会ったこともないけど、いろんな遠くの知らない人たちや弱い人たちが感染して死なないことに、わたしは責任があるんだと思った。それは「誰の」というんじゃないけれども、わたしが「友」であるということ。
●responsibilityを「応答可能性」と理解すると
津崎 そうね。責任。英語で言うと“responsibility”でしょ?
五十嵐 そうそう。
津崎 “responsibility”という英単語は、「response(応答)することがable(可能)である」だから、「応答可能性」とも理解される。そうならば、「他者の友である」ということは「わたしは、他者に対して応答する態勢ができている」ということ。
それが可能な「ヘクシス(hexis)」がある、と。ヘクシスはギリシャ語でいう「状態」だけど、「性向」とか「性質に向かう」と言ったらいいのかな。あるいはそういう「デュナミス(dynamis)」(能力・可能態)がある。つまり、わたしは常に誰かに対して「応答する可能性」にあるということ...