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監獄どころか料亭で遊び放題だった十月事件の首謀者たち

本当のことがわかる昭和史《3》社稷を念ふ心なし――五・一五事件への道(16)首謀者たちに下されたきわめて甘い処分

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
橋本欣五郎
近代日本人の肖像
1931年10月に計画されたクーデター「十月事件」も、三月事件同様、結局は挫折し、未遂に終わった。ところが、首謀者の青年将校たちが収容されたのは、監獄どころか東京都郊外の料亭だった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第三章・第16話。
時間:04:47
収録日:2014/12/22
追加日:2015/08/27
≪全文≫
 十月事件が実施される予定だった前月の昭和6年9月、陸軍省では長少佐を危険視し、北京駐在武官を命じたが、長少佐は赴任を嫌がり、上官に説得されてようやく北京に発った。ところが長少佐はものの1週間で北京を抜け出し、東京・築地の金龍亭という料亭で芸者を侍らせて潜んでいた。そのとき彼は出所不明の20万円を所持していたが、これは大川周明が渡したものだといわれている。

 ところが桜会のメンバーの中にも、このクーデターの計画が粗雑かつ時期尚早で、大量殺人につながることに反対した人たちがいた。積極派にしてみれば「自分たちの計画は建設的とはいえないが、破壊だけは成功する」というわけで、戦後の大学紛争時代の全学連に似たようなものである。クーデターに反対した青年将校たちは、彼らの上司である参謀本部作戦課長の今村均大佐に計画を打ち明けた。

 今村大佐は大東亜戦争で、第十六軍司令官としてジャワで善政を敷いたあと、第八方面軍司令官としてラバウルで戦い、戦後も立派な人物として讚えられている。部下からクーデターの話を聞いた今村大佐は、二宮重治参謀次長に報告し、二宮次長は南陸相に報告を入れた。そこで南陸相は、クーデター政権の首相に指名されている荒木教育総監部本部長に、首謀者たちの説得を依頼したのである。

 荒木中将はやはり、自分がクーデター政権の首相に担がれることには抵抗があったのだろう。荒木中将は当時人事局補任課長を務めていた岡村寧次大佐をともない、料亭に潜伏していた橋本中佐と長少佐のもとを訪れ自首を勧めた。橋本中佐ら5人の中心メンバーは料亭から憲兵隊に連行され、保護検束を受けたためクーデター計画は挫折した。

 ところが、その後の処置に大きな問題があった。クーデターを計画した青年将校たちが、監獄どころか東京都郊外の料亭に「分散収容」されていたのだ。

 酒は飲み放題で芸者も呼び放題だったから、処罰というより歓待である。クーデターも未遂に終わり軍法会議も開かれなかったから、内々の行政処分になっている。橋本中佐は謹慎20日間、長少佐と田中弥大尉が同10日間および地方転出になり、その他は無罪放免というきわめて甘い処分が下された。

 ところがこのクーデターの話は、どこからか宮中にも漏れていて、「橋本事件はいったいどうなっているのか」という問い合わせがあったらしい。そこで南陸相が報告書を提出しているのだが、「彼らは憂国の情熱から行動に及んだ」と、むしろ弁解しており、保護の目的で首謀者たちを収容したと報告している。つまり、陸軍部内では彼らを罰する気はまったくなかったということだ。
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