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それにしても、アメリカで堂々とアメリカ人と議論できる人が少ないのは事実だ。そして残念なことに、そういうチャンスを与えられる人も非常に少ない。
私はフルブライト交換教授として、アメリカの四つの州、六つの大学で教えたことがある。その一科目である比較文明論(Comparative Civilization)の中で、私は先の戦争について日本の弁明を行なった。「そうか」と聞いてくれる人もいたが、たとえばノースカロライナ州の大学には軍隊の将校を養成する予備役将校訓練課程(ROTC)があり、わりと保守的だった。その大学では、私が真珠湾攻撃について、「対日石油全面禁輸で日本は首を絞められて落ちそうになったときに、つまりチョークされそうなときにパンチを出したのだ」と話すと、席を立ち部屋を出ていく学生が何人もいた。
それでもさすがに、私の発言を止める学生はいなかった。そのうちに私の発言に理解を示してくれる人たちも出てきて、私は彼らとずっと親しく付き合った。また市民の集まりに呼ばれて戦争中の話をしたこともある。「戦争中には鉄がなくて、われわれもおもちゃをみんな供出したんです」というと、レディたちが驚いていた。彼女たちにはそういう発想はない。日本では戦争中に、子供たちもブリキのおもちゃを供出していたというようなことを知ると、アメリカ人たちはやはり考えるらしい。
それから古書学会の会合でドイツに行ったとき、各国の研究者たちと一緒にお茶を飲む機会があった。あるユダヤ人が、「原爆投下は、戦争を早く終了させ、犠牲者を少なくするためのものであった」と話したので、私が「ちょっと待ってくれ。戦争を早く終了させるために何をしてもいいというならば、毒ガスを使ってもいいのか」と反論したら、彼は一瞬茫然として「そこまでは考えなかった」と答えた。
それ以来、私はあれこれ考え、英語で書いたある文章に“Tokyo was a holocausted city”(東京はホロコースト〈大量虐殺〉を受けた都市である)と記したら、フランスの雑誌が喜んで論文を翻訳して掲載してくれた。これは重要なことだと思うのだが、日本は原爆投下などについて英語で発言するときは必ず「ホロコースト」という言葉を使うべきであり、無差別爆撃は「ジェノサイダル・ボミング(genocidal bombing)」と訳すべきである。「ホロコースト」や「ジェノサイド」という言葉を出されると、他国が反発しに...
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概要・テキスト
東京大空襲:空襲前(左)と空襲後(右)の航空写真
Wikimedia Commons
ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所で一日に殺されていたのは千人ぐらいだったといわれるが、東京大空襲では一晩で10万人が殺されている。これがホロコーストでなくて何なのか。日本は言葉をきちんと使うべきである。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第七章・第16回。
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