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石田梅岩の「心学」とは?~その驚くべき内容と現代的意義
石田梅岩(京都 明倫舎蔵)
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。
「石田梅岩」という名前を聞いたことがある方は多いと思います。
貞享2年(1685年)に生まれ、延享元年(1744年)に没した江戸時代の思想家です。彼が打ち立てた「心学」という哲学の名称も有名です。
よく、「石田梅岩の哲学は、日本の商売道の基盤になった」などといわれます。しかし案外、石田梅岩とはどのような人で、その思想の内容がどのようなものかまでは、ご存じない方も多いのではないでしょうか。
日本の資本主義のあり方を考えるうえで、やはり石田梅岩についての知識を持っておくことは重要です。本日は田口佳史先生(東洋思想研究家)に石田梅岩について語っていただいたテンミニッツTVの講義を紹介いたします。
この講義では、石田梅岩の生涯についても学ぶことができると同時に、石田梅岩に先行する日本の思想家たちの思想についても語っていただいています。その意味でも、多面的に日本の「資本主義の倫理」のあり方について学ぶことができます。
◆田口佳史先生:石田梅岩の心学に学ぶ(全9話)
(1)石田梅岩の生涯と時代背景
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5312
石田梅岩が生きた時代と、その生涯
石田梅岩が生まれたのは貞享2年(1685年)。徳川家康が征夷大将軍になった年(1603年)から82年後のこと。5代将軍・徳川綱吉の治世下で江戸時代最初の隆盛期となった元禄期(1688~1703)が、石田梅岩の成長期に重なることになります。そして石田梅岩の後半生は、8代将軍・徳川吉宗の治世と重なります。
このあたりの時系列について、田口先生は年表でお示しくださるので、とてもよくわかります。しかも、本講義の第9話で触れられますが、アダム・スミスが『道徳感情の理論』を発表したのが石田梅岩の没後15年、『国富論』を発表したのが梅岩の没後32年ということになります。
田口先生が最初に強調するのは、徳川家康の平和政策です。家康が征夷大将軍になった翌月、最初の法令として「郷村法令」が出されます。そこには「百姓をむざと殺候事御停止」と書かれていました。それまでの戦乱の世から、安堵できる世の中になって、町人たちは明るくなったのだといいます。
さらに戦国の武断政治から文治政治となり、経済もうまく回るようになっていく。梅岩はそのような時代を背景に成長していったのでした。
石田梅岩が生まれたのは、丹波国東懸村(現:京都府亀岡市東別院町東掛)です。11歳で奉公に出ますが、奉公先の商家の商売がうまくいっておらず、苦労をします。結局、15歳で奉公先を辞して、実家に戻ることになります。
田口佳史先生は、こうおっしゃいます。
《キャリアを積むというのは、成功の体験もさることながら、失敗の体験が非常に重要です。そういう意味で、梅岩が一番最初に「商家はこうあってはいけない」という商家をつぶさに知ることができたのは、その後の梅岩教学からいっても、とても重要なことだと思います》
(田口佳史先生「石田梅岩の心学に学ぶ(1)石田梅岩の生涯と時代背景」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5312
まさにご指摘のとおりでしょう。
石田梅岩は後年自身が述べるところによれば、子どものときから理屈っぽく、頑固で融通が利かないところがあったようです。つまり、一途に突きつめていくようなところがありました。
15歳で実家に戻った梅岩は、23歳で京都の呉服商である黒柳家に奉公に出るまで、亀岡で過ごします。この15歳から23歳までの時期に、梅岩は地元の寺社などで学問を積んだのではないか、と田口先生は推測されます。
たしかに、その後の梅岩のあり方を考えると、この時期に何の学びをしていないということは、少し考えにくいことです。実際に、東懸村の春現寺という曹洞宗のお寺は、石田梅岩の実家とも深い関係があったとのこと。どこででも学べる日本社会の多層性を活かしつつ、梅岩は知的な好奇心をどんどん深掘りしていったのかもしれません。
そして上述のとおり、梅岩は23歳で京都に奉公に出ます。このときの梅岩には、神道(吉田神道)を普及させたいという願いもあったようです。そのため、奉公先の黒柳家での仕事をこなしつつ、早朝に起きて勉強を続けていました。あまりに打ち込んでノイローゼになるほどだったといいます。
さらに、43歳のときに小栗了雲という人物と巡りあいます。この人は元々は越後藩の武家の生まれだったともいわれますが、京都で隠棲していた碩学(せきがく)でした。梅岩はこの出会いで大いに啓発されますが、梅岩が45歳のときに小栗了雲が亡くなります。
小栗了雲の没後、梅岩は自分自身で講席を開きます。石田梅岩は、「席銭入り申さず」と無料で講義をしていました。身分も性別も年齢も問わず、紹介者も不要でした。にもかかわらず、最初はほとんど聴講者もいないような状況でした。
しかしその後、梅岩が60歳で没するまでのあいだのたった15年で、驚くほど大きな影響力を持つようになるのです。
なぜ石田梅岩の「心学」が多くの人々の心を捉えたのか
なぜ、石田梅岩の教え(「心学」と呼ばれます)は多くの人々の心を捉えたのか。まず、田口先生が指摘するのは次のポイントです。
《「欲」というものにしてやられない自分をつくるためにはどうしたらいいか。そこに尽きるわけです。人間には欲があって、ちょっとでも金が入ってくると、「もっともっと、もっともっと」となる。その「もっともっと」が出るときが一番危険なときであるといいます。そこで、欲望に対して克己する、己に克つことで(それを)上回っていくという、非常に実質的に自分の心をコントロールする術をまず講義したわけです》
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(3)神道布教の志と『無心』」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5314
ただの大義名分を説くのではなく、実質的にとても大切な内容を真正面から説いたわけです。
さらに田口先生が挙げるのが、石田梅岩が「商売の基本」を、とても具体的にわかりやすく説いたことです。田口先生は次のような例を挙げます。
《足りている部分から不足の部分へやりとりするのがビジネスの基本である。その心は何かというと、買うときに誰もが商品はいいと思っても、「いくらですか」と訊いて、具体的に値段をいわれた瞬間に、「うーん、ちょっとどうしようかな」となる。これは、人間の心理として誰もが「ちょっとどうしようかな」となって、よほどの人でないかぎりポンと出すということはないということです。
したがって、まず「不足」についての認識を共有化するのが商売の基本です。「これが足りないというお話ですが、どうですか」と問うと、「いやあ、そうなのですよ。この地域はそういうものがとれなくて、とても不足していて困っています。この間も親がこういう状況になって、なんとかならないかと思ったら、それが手に入らなかったので、親をとても悲しい気持ちにさせてしまって…」などといった不足を共有化する。
「そうですか。それでは、いいときに来たわけですね。今、私のところではそれがとてもたくさんとれるものですから、持ってきました」といって、それを見せる。「これを、いくらで」というと、不足していることが解消される喜びが主になるから、それなりに喜んでくれる。つまり、買い手も喜ぶ、売り手も喜ぶ。
買い手も喜ぶ、売り手も喜ぶという状況が全国に広がれば、要するに世間もとてもいい状況になる。なぜなら、経済活動が活発化するから。それを「売り手よし、買い手よし、世間よし」と。
人間は金を出すことにとても抵抗があるものなので、「金を出す」というところを突破するためには、よほどこちらが誠心誠意、本当に不足しているものを考え、不足を補ってあまりあるものを提供していかなければ、商売の道に外れてしまう。言葉巧みに言い負かし、要らないものをどんどん買わせていくなどということは破滅の第一歩である。そういうことを梅岩はいって、そのことをいわば徹底的に教えたわけです》
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(4)商売の基本と梅岩教学」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5315
まことに、胸にスッと入ってくる教えです。
石田梅岩の思想の淵源はどこにあるか――最澄、道元、千利休、鈴木正三
では、梅岩の思想の淵源はどこにあるのか。田口先生は、この講義シリーズの第5話~第8話でそこを探っていきますが、まず取り上げるのが最澄と道元です。
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(5)根本としての仏教と道元の教え」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5316
ここで最初に田口先生が紹介くださるのが、天台宗を開いた最澄の述べた「(仏法とは)本来本法性 天然自性身」という言葉です。これは「人は本来すでに法性であり、生まれながらにして悟った身である」ということを意味します。
この言葉は、比叡山に修行に行く人が最初に教わる言葉となりますが、1人だけその言葉に疑問を持った人がいました。それが道元です。
道元は、「本来、人間が悟っている存在だとするならば、修行の意味はどこにあるのか」と、真剣に考えたのです。
道元は、その後、中国にも渡って修行を重ねて悟りを開き、帰国してから『辨道話』という書物を書きます。そこに有名な言葉があります。
《この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといゑども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし》
つまり、「悟りは一人ひとりの人間に豊かに備わっているが、修行しなければ現われないし、悟ったと思わなければ悟りは自覚できない」というのです。
そのうえで道元は、修(修行)も証(悟り)もまったく同じことであり、一生修行することが重要だと強調しました。それゆえ、道元が開いた曹洞宗では、掃除も食事も、すべてが修行だとされます。
このことについて、田口先生は次のようにわかりやすく説きます。
《「修行として生きる」ことと「ただ生きる」ことは違う。「ただ生きる」というのは何も考えずに、ただ飲んだり食べたりしている。修行として生きるということは、「一つひとつを丁寧に、真心込めて」。したがって何を食べるのも、一つの味をよく玩味して、「ああ、おいしい」「こういう味だったのか」「こういうものは、どこでとれたのだろう」と思いながら、しみじみ味わっていただくということになります》
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(6)禅から茶道へ」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5317
この「一つひとつを丁寧に、真心こめて」という思想が、日本人の生き方論の根本になったのだと田口先生は説きます。
さらにその道元の思想を、千利休は茶の湯で表します。そのような千利休の考え方は、彼の弟子が書いた『南方録』という書物に著わされています。田口先生の解説で見てみましょう。
《彼(千利休)はなんといったか。「小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て、修行得道する事なり」といったということです。小座敷で自分がやっている佗茶の一番重要なことは、「第一仏法」をもって、仏法修行の心を呈して、自分の心に得道をもたらす。悟りに至る道を「得道」と呼びますが、悟りに至る道を歩んでいくためにお茶のお点前をやっているのが、一番重要なことだといっています》
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(6)禅から茶道へ」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5317
このような考え方が、やがてお茶以外にも広がっていきます。華道、柔道から、料理道や野球道のようなものまで、すべてが「道」となり、修行だと思って取り組むべきこととなっていきます。
「一つひとつを丁寧に、真心こめて」取り組むことで、生きることや仕事さえも修行になる。そのような考え方を最初にわかりやすく説いたのが鈴木正三でした。戦国末期から江戸時代初期を生きた人物で、三河武士でしたが、後に出家して禅僧となった人物です。
彼は『万民徳用』という書を著し、武士、農民、職人、商人のそれぞれの職業倫理を説きました。本講義では、田口先生が第7話、第8話で実際にその内容を読み解いてくださいますので、ぜひご参照ください。
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(7)鈴木正三『万民徳用』を読む(上)」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5318
正直、倹約、精勤……石田梅岩の哲学の現代的意義とは?
そのうえで、田口先生は石田梅岩の哲学の現代的な意義について最終第9話で論じます。
なぜ、「正直」「倹約」「精勤」が日本型資本主義のポイントとなるのか。そのことが、昨今の資源問題や資本主義の諸問題と結びつけつつ語られます。その内容は、ぜひ講義本編の田口先生の語りでご体感いただければと思いますが、その一部のみをご紹介しましょう。
《企業経営が成功するための必須の条件として何があるかというと、二つなければならない。簡単にいえば、人々からの信頼というものがなければいけない。商売人として獲得するのは売上や利益ではなく、信頼・信用というものをまず得なければいけない。そのときに、正直という概念は非常に重要だといいます。
もう一つ、梅岩が挙げていることとして、「天道(天の導くところ)によって」ということをずいぶんいっています。正直ということ自体が、徳という概念と非常に密接なもので、ときには同じような意味合いで使われていると私は思います》
(田口佳史「石田梅岩の心学に学ぶ(9)正直、倹約、精勤のすすめ」テンミニッツTV)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5320
日本人の底流に脈々と流れるものの大切さに気づくことができる講義です。ぜひご覧ください。
また、この石田梅岩講義も収録した田口佳史先生の書籍『テンミニッツTV講義録(3) 「縄文と神道」から読む日本精神史――理想的日本人の生きる力』(発行:イマジニア、発売:ビジネス社)も発刊されています。ぜひご一読いただければ幸いです。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
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