●『貞観政要』とはどんな書物か
今回から『貞観政要』という書物を読みます。このところ、『貞観政要』もだいぶ皆さんに読まれることが多くなったので、改めて紹介するまでもないと思いますが、一つだけ申し上げたいことがあります。
今回扱う『貞観政要』の基となっている書物がこの本です。これは明治書院から出ている「新釈漢文大系」の一つとして編まれているものです。この版は二巻で構成されています。当時は唐の時代です。遣唐使が日本と中国を頻繁に行き来していました。時期で言えば真ん中以降の遣唐使の頃に、『貞観政要』という書物ができます。それで唐では、皆がこれを読んでいました。「なぜ皆が読んでいるのですか」と聞くと、「長期政権の基本が書いてある」と教えてくれた。「それはいいですね」ということになって、遣唐使の諸君が皆それを持ち帰り、日本の政権を長くしようと考えました。618年から唐代で、李世民の即位が626年です。630年から遣唐使の派遣が始まり、その後、かなり長期間続きました。これはずいぶん長く続いたと思います。
この本を全部持ってくるのも大変ですから、「ここはすごく良いな」「ここが良いな」と、遣唐使の一人一人が「ここがいい」「あそこがいい」を思った部分をばらばらに持ってきました。これが江戸期まで、ずっと続いたのです。だから、何となくばらばらと『貞観政要』が入ってきたことになります。そのため、いろいろなタイプの『貞観政要』が日本にありました。
●『貞観政要』の整理に一生をかけた学者の存在
もしこの本がそういう状態ならば、今、私が皆さんに「この貞観政要というのは・・・」とお話をすることもできません。つまり、何をもって本当の『貞観政要』といっていいのか分からないというものなのです。時代的変遷で文章も多少違っており、ある文章が別の文章になっているなどします。そういう事情のため、「これが正当な『貞観政要』だ」というのがよく分からないわけで、それでは『貞観政要』を正当に読むこともできません。
この本(「新釈漢文大系」の版)の最後に、著者である原田種成(たねしげ)という人の名前が書いてあります。この原田種成先生こそ、『貞観政要』を一生かかって全て読了し、「こちらとあちらは対になっているべきだ」とか「これはここに入っているべきだ」と言いました。一生を『貞観政要』のために生きたような方です。
私は、学者という人の最大の役割は、後の世の人間の学問を非常に円滑に進めるための奉仕をすることだと思います。それが、学者としての最大の役割だと思います。彼がいたから、後の代は学びやすくなった、そういうものが最大の役割だと思います。
この原田種成先生の存在は、中国古典全般の中でも非常に稀有な例ですし、学者全般から言っても、一生かかって整理にずっと尽くすということは、「言うは易し行い難し」です。そういう意味で、私はいつも『貞観政要』を読む前に、前提として、原田先生に心の底から感謝を申し上げる意味で、先生の偉業に対して敬服の念を表し、このことを皆さんに申し上げることが通例になっています。こういう方がいたから、今これが読めるのだということを、ぜひ忘れないでいただきたいと思います。
●現代中国の政治家は、歴史から大いに学ぶ
私が『貞観政要』という書物をどう解釈しているのかということから、お話ししたいと思います。まず『貞観政要』という書物は、唐の2代目の皇帝、太宗である李世民の言行録です。その前提には、漢に並ぶ長期政権をつくらなければいけないという、唐の重臣たちの願いがあります。結果として、まれに見る明君の御代であった貞観の世という時代の記録をきちんと取っておいた方がいい、ということになりました。模範や手本になるべき歴史的な事実、あるいは政治のあり方を事細かくきちんと残しておいた方が、後のリーダーはやりやすいだろう、あるいは手本にしやすいだろう。そういうことがあり、この本ができたわけです。
話は少し飛びますが、現在の中国は、必ずしも世界的な評判があまり良いとは言えない国です。しかし中国の人、それも政治に関与している人たちと付き合って、日本の政治家と非常に違うと思うのは、彼らがものすごく歴史を勉強していることです。大体、四書五経といった書物の重点は、きちんと全て把握している人が多い。だから、四書五経について話すことが非常に楽にできますが、日本ではなかなかそういう政治家がいません。日本の場合は、中国古典ばかりではなく、歴史そのものをもう少し勉強して加味した、あるいは興味を持った政治家がもっと出てくるべきではないかと、私は常に思います。
もっと言えば、今の学校教育における歴史教科のあり方は、もっと正しく考え直した方が良いと思います。仮に時間が足りないと...