●国家を存続させる四つの要素
「聖哲、機に乘じ」。聖哲とは、高祖と太宗のことです。魏徴が面と向かっているのが、太宗で、その太宗のお父さんである李淵は高祖と呼ばれます。その高祖と彼の次男である李世民、すなわち太宗の2人が、わが唐の聖哲です。
「機に乘じ、其の危溺(きでき)を拯(すく)ひ」。聖哲は、国民が危険に瀕し、溺れ死にするような状態になっているのを救い、「八柱を傾きて復た正しく」した。八柱とは、天を支えている8本の柱です。天は8本の柱によって支えられている。政治の一番重要な仕事は、この柱をしゃんとさせて維持することで、柱が傾いてしまっていたのを、聖哲はまた正しくした。
次に「四維」とありますが、これは古代より中国で言われている「国家を維持する四つの要素」で、非常に重視されているものです。まずは礼儀の「礼」、それから仁義の「義」です。礼と義です。それから「廉」、これは無欲という意味です。それから「恥」です。「礼義廉恥(れいぎれんち)」と言い、これこそが国家を運営する要点です。こういう言い伝えがあり、それを「四維」、維持するための四つのものだと言っています。
よく考えてみれば、礼とは秩序を形成する最大の要素です。秩序が崩壊していることを、無礼や非礼と言います。国家や組織がつつがなく維持されるためには、礼がしっかりしてなければいけない。このため、真っ先に「礼」が来ます。
次が、「義」です。何のために組織をつくっているのか。何のために国家があるのか。これがよく分からないというのでは困ります。したがって道義が明確でないといけない。これを「義」と言います。秩序が正しく維持され、その秩序の中で、国家の目的、組織の目的が遂行されていく。
さらにそのとき、全てがシンプルでなければいけません。組織はごてごてしてしまうものですが、組織は非常にシンプル、簡素でなければいけない。そういう意味で「廉」という言葉があります。欲がないという意味です。華美にするような欲を持ってはいけない。
そして最後に「恥」という概念があります。中国古典のいろいろな書物、例えば論語にも、弟子が孔子に向かって「先生、立派な人物とはどういう人ですか」と問うと、「己を行うて恥あり」と答えたとあります。恥がある人が、立派な人だと言っています。
自分の行いに満足して「どんなもんだ」と誇るような人は、そこで止まってしまう。「この人、ここへ来て長いことたったけれど、成長が止まってしまったな」という人は、よくいますね。それではいけません。「私はまだまだ未熟で、恥ずかしい限りで」と、何かをやったり何かを発言したりするたびに、恥ずかしいと思う。これは、自己向上のメカニズムを自分の中に持っているということです。人から言われなくても、自分で恥ずかしいと思うわけですから、どんどん向上していくのです。国家には、そういうことが重要である。そういうことを「四維」と言います。
●旧敵の遺産にいまだ乗っかっていないか、という厳しい諫言
話を戻すと、「四維絶えて更に張り、遠きは」。つまり四維を取り戻したという意味です。「遠きは肅(すく)し邇(ちか)きは安き」。これはよく言うことですが、遠くにいる民はどうしても置いてけぼりになりますから、そういうところにもきちんと手を差し伸べるということです。また、近いところは、よく会うから意思の疎通は十分だということをどうしても思ってしまうが、そこに対してもきちんと意思の疎通を確認するということです。
それで、「期月」、1年を「踰えず」。以前の残虐な政治に勝ち、それで殺戮や刑罰をしなくてもいいという平和な時代を、聖哲はもたらしてくれた。「百年たてば」という言い伝えがあるが、百年もたたないうちに、あの陰惨極まりない時代、トップが下級の人間に暗殺されるなどというとんでもない時代を、ほんの1~2年でさっと変え、非常に理想的な国家をつくれたのは、高祖とあなた(太宗)のおかげです。このことは誇っていいと思いますが。重要なのはここからです。
「今、宮觀薹榭」。今、実は隋の宮殿そのまま使っているわけですね。隋が建てた華美な宮殿をそのまま使っている。「盡く」、そこにわれわれは住まわっている。そして、彼らが集めた「奇珍異物」がある。煬帝は、海外から力でもって集めたような珍しい物をどんどん集めることにエネルギーを使い過ぎたため、隋は滅んだというぐらい、珍しい物がそこら中にまだ残っていました。「盡く之を」、今でもこれらは、そのままに「収む」、収めている。
さらに「姫姜淑媛(ききょうしゅくえん)」。これは、当時からいる多くの女性、美女ということです。彼女らもそのまま置いているわけですから、そういうものに囲まれている。「盡く側(かたわら)に侍(じ)...