●敗戦後、「打倒ドイツ」に燃えたフランス作曲界
―― 前回はマーラーのウィーン的な世界観と、ナショナリズムを力強く訴える国民楽派についてでした。国民楽派には独特の高揚感や力強さがあり、長らく愛されるような曲を生んでいます。どことない郷愁感もあればエキゾチックなところもあり、クラシックの多様化の中の一つとして、現在でも人気を保っているのでしょう。
さらにもう一方では、ワーグナーに大きく影響を受けながら、まったく違う道を歩み出す人たちがいました。それがドビュッシーのような、音楽の教科書的にいうと「印象派」と呼ばれる人たちです。この世界にいくと、もともとの西洋音楽の流れから自由になります。すなわち「自由七科」のように世界の秩序を描くような表現から、和声的にもとりとめがないかたちになり、構造的にはソナタ形式(序奏→提示→展開→再現→結尾。二つの主題が提示部と再現部に現れる)みたいなものからも逃れて、非常にまったりとしたものになっていく。
同じ時期に、オペラなどでは『蝶々夫人』なんかがそうですけれども、エキゾティシズムというか、ヨーロッパ文化にはないものをどんどん入れていく動きが起こります。ヨーロッパ文明が陰りを見せるというか、少し変質したりしていくのに対応したような動きのようにも見えます。このあたりについては、どのように考えたらよろしいでしょうか。
片山 そうですね。まずドビュッシーに関していえば、彼の音楽というのは、今言っていただいたようにワーグナーの影響を強く受けています。これは、フランスが普仏戦争に負けたことによって、ドビュッシーに限らずフランスの作曲界に「やはり次にドイツとやるときには勝たなくてはいけない」「文化的にもワーグナーに負けないものを示さなくてはいけない」という思いがあったからです。
そのためには、やっぱり「敵に学べ」ということになり、みんなワーグナーにいかれてしまうというか、フランスの作曲家たちは、もうダンディだろうがシャブリエだろうが、もちろんドビュッシーだろうが、みんなワグネリアンになります。そこで、バイロイトに行っては一生懸命ワーグナーのオペラを見て、研究しました。ワーグナーのようなオペラを自分たちもつくらないといけない。物真似ではなく、何か変えたかたちで、ワーグナーをフランス化できないか、と考えるのです。
●地中海的な「軽さ」を求めたドビュッシー
片山 ワーグナーのフランス化について一番成功したのはドビュッシーであって、「牧神の午後への前奏曲」やオペラの『ペレアスとメリザンド』によく表われています。じゃあ、ドビュッシーがフランス的と考えたのは何だったかというと、やっぱり「軽い」ということなんです。つまり、重くない。軽やかというか浮いているというか、地中海的というか、重心が低くないというか。
―― 確かにワーグナーは重いですよね。
片山 そうなんです。だから、ワーグナーのいつまでも続いている感じはいただきながら、響きを薄く、軽く、音色をしなやかにする。つまり、ゲルマン的な「土に足が埋まっています」みたいな(これはゲルマンの人に失礼だったかもしれないけれども)ものから、いかにして外せるか。さらには、いつも地中海的に、あるいはギリシャ・ローマ神話の世界みたいに、妖精が飛んでいるみたいにできないか。
そうやって彼は、ドイツ流の「北的」なものではなく、南国的とまではいわないけれども地中海的な陽光が差しているような、薄い、大気がいつもきらめいているような音が、フランス的であると考えました。
では、ドビュッシーの前にそういう音楽をつくった人はいたのかというと、フランスのオペラの歴史の中でも、グノーやマスネなどの音楽は、ベルリオーズほどファナティックにならず、そこからもう少し、軽くなっています。当時はフランスの市民階級に余裕が生まれ、あまりコテコテしていない、あるいはケバケバしくないものが求められました。
マイアベーアやベルリオーズとは全然違う行き方(二人は全然違いますが、ある種の「ケバさ」が共通しています)で、もっと品がよく、うっすら来るようなもの。
こういう伝統がフランスのなかにはあって、例えばセザール・フランクの少し宗教的な作品などにみられます。フランクもしつこいところはありますが、ドイツ音楽ほど低音重視の重いものではない。おそらくグレゴリオ聖歌などに似たところがあり、まさに宇宙を漂っているような感覚を描いています。
―― そうですね。ちょっとうつろっているような感覚です。
●ドビュッシーと印象派が生んだ「フランス的」
片山 フランクの作品は、ベルリオーズやマイアベーアの後に出てきたフランス的なものです。ワーグナーを踏まえて、それを次元上昇させればいいというのがドビュッ...