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「教育には二種類ある」キケロが説いた人間性を磨く思想

「教養とは何か」を考えてみよう(5)「大吟醸」のように磨かれて

情報・テキスト
キケロ
出典:Wikimedia Commons
古代ローマの雄弁家キケロは、教育には二種類あると述べた。子どもに対する教育が一通り終わった後、必要になるのが「フマニタス・ポリティオル」という「人間性を磨く」ための教育だという。人間性を磨くのは、キラキラにするためではない。余分なものを削って普遍にたどりつくためである。(全15話中第5話)
時間:10:35
収録日:2020/10/26
追加日:2021/05/25
≪全文≫

●キケロが指摘した「二種類の教育」とは


津崎 前回の話を聞いていて、もう一回出発点というのかな、話の最初のほうに戻っていくと、「知識」も必要。つまり、知識を入れておく「箱」も必要だけれども、もう一つ上に段階があって。例えば、その箱を壊していく。箱から自由になる。あるいは箱に入っていた知識と一見すると関係がなさそうな知識を結びつけていく。こういうふうに、二段階ありそうだと分かってきたんだけど、そこで思い出したのがやっぱり同じキケロなんだけど、『弁論家について』のなかでキケロは「教育には、二つあるんだよ」と言っている。

五十嵐 うんうん。

津崎 ラテン語で言うと“institutio puerilis(インスティトゥティオ・プエリリス)”。“puerilis”は「子どもの」で、“institutio”というのは、英語の"institution”のもとになった言葉。要するにまず子どもの教育があって、それが終わった後に「フマニタス・ポリティオル(humanitas politior)」がくる。“politior”は、英語で言うと、「磨きがかけられた」という意味の“polished”ね。“humanitas”のほうは大問題で、一方で「人間性」と訳されたり、ドイツ語でいうとフマニテート(Humanität)かな、「人間らしさ」ということだよね。

 前回の“Bildung”の話だと、例えばヘルダー(Johann Gottfried von Herder)やフンボルト(Wilhelm von Humboldt)といった18世紀から19世紀の人は、「“humanitas”は与えられているけど、それは磨かないと、本当にちゃんとした“humanitas”になりません。だから、“Bildung”しましょうね」と言った、なんて話もあったりする。

 いずれにしても、まず子どもの教育があって、そのなかにちゃんと「食育」も入ってくるわけね。ちゃんとご飯を食べさせるのは、「養育」という意味での「養う」でもあるんだけど。あるいは「読み・書き・そろばん」で、要するに基礎的な知的能力を授けるとか、そういう知識をつけていくこと。


●人間らしさを磨くために“empathy”を身につける


津崎 それが終わった後、僕たちが本当にやらなきゃいけないのは何かというと、キケロに言わせると“humanitas politior”(人間らしさを磨いてくこと)なのだという。

 じゃあ、人間らしさは一体何かというと、それはキケロなりの理解があるんだけれども、自分たちが今まで話してきた話にぐっと引きつけると、例えば“empathy”という能力を身につけること。単に知識があったり、子どもの教育で終わっちゃいけない、と。

五十嵐 うん。

津崎 キケロが言うような高度な──“humanitas”を“culture”と訳している辞書もあるから、「教養」と訳すならば──「高度な教養」。つまり“politior”、ポリッシュされた“humanitas”。彼はその言葉を知らなかったから、「キケロに言わせれば」とは言えないんだけれども、僕らの話の文脈で言うと、例えばその一つが“empathy”という能力を身につけていくことなんじゃないか。知識があるだけでは頭でっかちであると。

 では「知識を使って」ということだけど、知識というのは、あるかないかだけ、物知りか物知りじゃないかだけでしょう。

 つまり、数値化できるじゃない? どれだけ単語を知っているか。どれだけ年号を覚えたか。でも、教養はそうじゃないよね。知識をどう使うか、つまりパフォーマンスの問題だよねえ。

五十嵐 そうそう。「生む」ということね。

津崎 「生む」?

五十嵐 パフォーマンスは、生むということ。

津崎 どういうこと?

五十嵐 パフォーマンスというと……。

津崎 だから、それを使って何かをつくる、ということ。

五十嵐 ね。


●輝くためでなく「削る」ために磨くということ


津崎 じゃあ知識で何をつくっていくかを問える人というのは、例えば「教養がある」とも言ってみたいと僕は思う。知識があるだけじゃなくて、“empathy”のある人。でも、“empathy”とはどういうことかといったら、その知識を使って自分と世界がどういう関係にあるか問うていけること。

五十嵐 うん。その“humanitas politior”、そしてポリッシュというのが面白いな、と思った。

津崎 磨きをかけていくことだからね。

五十嵐 もう一つ、“humanitas”も面白い。例えば「日本人」とか「21世紀の」という個別じゃなくて、「人間である」ということ。人間って、ほら普遍でしょ。

津崎 うん。面白い。

五十嵐 そうそう。だから、「人間」になるには……余計なものではないけど、現実的ないろ...
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