●コシノ氏の家系にある「生命的自由」を求める命
執行 コシノジュンコ的なマグマの力で描くというのが、普通の人には表現できない「生命的自由」です。私のコシノ芸術論にも書きましたが、「生命的自由」の表現はものすごく難しいのです。
生命は表現しようとすると「嫌味」になるのです。だからすごく難しいのだけれど、コシノ芸術はそれが本当に綺麗に表わされている。
ですから、私はこの作品と対面すると、細胞が賦活します。もう、すごいです。細胞の中にミトコンドリアという細胞の核があるのですが、このミトコンドリアが回転を始めるのを感じます。
ミトコンドリアは「生命力」と我々が呼んでいるものの中枢機関なのです。ミトコンドリアは、原始の時代にはウイルスだったと言われているものが、人間になるための細胞に入り込んでいった。ミトコンドリアが細胞に入ったために人間が出来上がったと言われているのです。そのミトコンドリアを動かす力が、コシノ芸術が持つ「人間賛歌」「生命的自由の賛歌」なのです。
コシノさん個人、またはコシノさんの家系にあるものは、「人間の生命の自由」を本当に求めている「命」なのだと思います。『カーネーション』によるとお母さんがそうでしたから、これに関しては多分コシノ家に伝わっているのです。すごいです、この力は。
私は予言していますが、人間がこれから突入していく霊性文明を引っ張る作品になります。これはコシノ作品以外では例えば山口長男とか、何点かね、僕はいろいろ、今、分かってるのはあるのですけども、コシノ作品もその非常に強い一個ですよ。
コシノ 今日はすごく大きな自信をいただきました。
執行 自信になるかどうかは、わかりませんが。
コシノ いや、今まで自分の中で満足しているだけでした。やはり人がどんな目で見てくれるかは怖いですよね。
執行 今まで、いろいろ言う人はいないですか。あまり言わないですか。
コシノ ここまでは解明してくださらないです。私はファッションという印象が大きいから、そういうイメージで見ると、ビックリするんです。
執行 まずファッションで、すごく有名になっていますからね。
コシノ そう。そこは、まあ邪魔でもなんでもないのですが。もともと美術のほうに行きたかったのが、『カーネーション』でもありましたが運命的にずっとファッションをやってきたわけです。それでも本能は変わらないわけですから。そういう意味で「時が来たな」と思っているんです。
●ファッションの道が自分の使命という感覚
執行『カーネーション』を見ると、もともとの出発は画家ですよね。
コシノ そうなんです。
執行 (ファッションの道に進んだのは)やはり「家」から来るものでしょうね。
コシノ それは、しょうがなかったのですね。
執行 あの当時、女性が生きていくには服飾じゃないと食えないですよね。
コシノ そうですね。それで子どもの頃、「そうね、貧乏画家は嫌だわ」とか「成功しても死んでからじゃあね」とか言って、結局、自分をストップして。ファッションのほうに行くとき、自分勝手にそう思ったんです。「そうよ、とにかく貧乏画家だけは嫌だ」とか(笑)。
執行 大正解ですよ、それは。
コシノ 結果的にそうなんですよ。「ちゃっかりしてる」というか。
執行 それが女性の持つ芯の強さですよ。
コシノ 家の事情というか、「それが自分の使命」という気持ちが本当にあって。東京に出てきてもう19歳で賞を取って。装苑賞というのですが、今でも審査員を長々とやっています。もうギネスみたいです。だからやっぱり、道が開かれるときは、ダーっと開かれますね。
執行 特に戦後のあの時代は、女性が洋服に燃え立ったというか……。
コシノ そうです、目覚めた。だから日本のファッションの歴史の一歩だと思います。
執行 たぶん、私は子どもの頃は分かりませんでしたが、戦後の物がなかったとき、「これからは自由だ」「民主主義の時代だ」というときに、みんなが燃え立ちましたが、特に女性は洋服に入っていったと思います。
コシノ 合理的だし。特にうちは呉服屋さんでしょう?
執行 (『カーネーション』で)出てましたね。
コシノ だからうちの母は、私の小さい頃は、着物を着て、洋服を作っていました。
執行 そうでしたね、ずっと。
コシノ なにしろ着物はあるわけです。だから着物の上に着るコートなどは、一番得意でしたね。コート自体は洋服なんです。ウールで作っている。でも中身は着物。そういう接点みたいなものを作って、けっこう儲かっていました。そんなものを作る人はいないから。
●運命の「流れ」に沿えば、楽だしうまくいく
―― いまのお話しを聞いていて、また岸和田のだんじりの話と蓄積の話が...