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描きたいけれど手が動かなくなる…余白を残す「感性」とは

勢いと余白(8)余白をどのようにデザインするか

概要・テキスト
コシノジュンコ氏は、自分がもっと描こうと思っても、本能的に手が動かなくなるという。優れた芸術はみな「足りない」「未完」の部分がある。そうした作品にするには一歩引いて見る視点が大事である。そしてそこには、いい塩梅(あんばい)とも言うべき、事前の計算があるべきである。そこから、「余白の美」が生まれてくる。縄文時代の遺跡も余白の美である。文学でも、人の心を揺さぶるほどに感動させる文学作品も、未完であることが多い。(全11話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:11
収録日:2022/10/06
追加日:2023/02/03
カテゴリー:
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≪全文≫

●「もうちょっと描こう」と思っても手が動かなくなってしまう


執行 でも「勢い」「勢い」と言っても、これは「勢い」では描けないです。

コシノ 言葉は「勢い」なのですが、ためる時間のほうが長いですね。

執行 やはりすごい「重力」。「重力」という言葉は使っていますが、コシノさん自身から見ると、この「重い感じで表現されるもの」というのは、描く人間としては何を感じているのですか?

コシノ 私は、やはり眼はすごく正しいので、自分に疑問を持つのは怖いですね。眼はやはり正しいですよ。だから手が動かなくなってしまうんです。

執行 描いていて?

コシノ もうちょっと描こうかなと思っても、「描いちゃダメ」みたいな。それを描くと失敗というか、手が動かなくなってしまう。だから描き過ぎるというのは……。

執行 ダメですよね。

コシノ バランスというか、手がそこから動かない。何か、ある意味で本能でしょうね。「絶対にこれだ」と思ったら、もうそれ以上描くと失敗します。やり過ぎはダメです。ちょっと空間を残す。残しかたが感性だと思います。

執行 これはコシノさんだけではないのですが、私の知る優れた芸術家は、みんな「足りない作品」が素晴らしいのです。「足りない」ということは、本人にとっては未完です。

コシノ そうなんです。だけどそこを我慢しなきゃダメなんです。

執行 戸嶋(靖昌)もそうだったし、山口長男もそういう発言をしています。

コシノ それ以上やると、やはりちょっとやり過ぎになる。本能的な「ここでやめよう」という決断が大切だと思います。

執行 だから美術論の言葉としては、「未完で終わる」ということです。

コシノ そうですね、分かります。その未完の空間が、見る人に共通するのです。

執行 本当に、ダメな作品はやり過ぎなんです。

コシノ そうなんです。「これ、やめればいいのに」と。本人は分かっていなくても、分かりますよね。

執行 でも、ダメな人というと失礼ですが、ダメな画家としゃべると、みんな自分が描くものは細部に至るまで、ものすごくこだわっているのです。だから、どうしてもやり過ぎになってしまう。

コシノ 一番いいのは、ちょっと一歩引いて、他人事(ひとごと)で見るのです。

執行 そういう描き方をしている?

コシノ はい。そればかり考えていると、だんだん増えてく...
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