●「40年周期説」に見る明治維新からの波
この後の松方財政改革の話などもしたいのですが、残り時間も迫ってきたので、ここで結論部分へ入っていきます。
「日本の盛衰:40年周期説」というものがあります。
振り返ってみると、1865年は内乱と対外紛争で日本が大混乱した年でした。4カ国連合艦隊が長州を攻撃した戦争があり、第二次長州征伐で幕府がみそをつけて大混乱したのが1865年前後です。
それから40年たった1905年には日露戦争に勝ち、日本は世界の列強に仲間入りをしました。さらに40年後の1945年には太平洋戦争で負け、日中戦争で負け、本土は原爆を被弾して焦土になりました。その40年後、1985年に日本バブル絶頂期があります。
さらに40年たつと、2025年です。一体どうなるのでしょうか。復活するのでしょうか。その問題を皆さんと考えてみたいと思います。
●1945年からの復活は「前時代の否定」がエンジンになった
まず、1945年から85年の40年間では、なぜ上昇し、復活できたのか。戦後の焼け野原からの復興が可能になったのは、戦後の改革において、前の時代を全て否定したことが大きかったのです。
土地所有(地主制)を自由化し、財閥を粉々にして中小企業の国にしました。教育を6・3・3・4制に改革して、エリートの教育をなくしました。労働運動を活発にして、現場で資本家が不正をしないようにしました。これらはいずれも前の時代に対する否定です。
これにより、労働者階級が非常にエキサイトしました。勉強したら、その先へ行ける。働けば、もっと先へ行ける。だから、日本は復興しました。その時に安全保障関係でアメリカが安全保障を提供してくれて、市場を開放してくれました。貿易は莫大に拡大した。それに乗って日本がどんどん進歩しました。
そして、人口が若かった。技術導入が激しく行われましたが、いくらでも吸収し、次から次へとキャッチアップをしました。今の日本の大企業の若い頃は、これにより革新的リーダーが台頭しました。特に企業においては、松下幸之助などの経営革新がすさまじい勢いでした。
政党についていうと、自民党は、その名の下に実は派閥の寄り合いであり、内部で絶えず切磋琢磨が起こりました。宏池会をはじめとするさまざまな派閥は、それぞれが一つの政党といえる特色を持っています。それらが切磋琢磨していたため、緊張感が...