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国是として戦後にも生きる「五箇条の御誓文」の影響

明治維新から学ぶもの~改革への道(3)明治天皇と五箇条の御誓文

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授
概要・テキスト
五箇条の御誓文
(幟仁親王が揮毫した御誓文の原本)
若き明治天皇は、新政府の意向により、西洋の皇帝をモデルとする宮中改革に育てられた。時間的・空間的な日本の象徴として君臨する天皇は、親臨と直裁により大きな成長を遂げる。自らご誓約された「五箇条の御誓文」は、明治新政府が残した国是として現在も息づいている。(2018年11月13日開催島田塾講演「明治維新とは:新たな史観のこころみ」<後編>より、全22話中第3話)
時間:10:30
収録日:2018/11/13
追加日:2019/04/21
タグ:
≪全文≫

●明治天皇は、新政府にとって「正統性の根拠」


 明治天皇と新政府の関係を一言でいうと、明治天皇は新政府の正統性の根拠です。明治天皇は、孝明天皇の第二子として、権大納言中山忠能(ただやす)の館で誕生したといいます。母親が孝明天皇の側室に入っていたためで、要するに嫁側の実家で生まれたわけです。

 この数年後に孝明天皇が崩御しますが、崩御が発表されないまま、睦仁親王(後の明治天皇のこと)の践祚(せんそ)が内定します。慶応4(1868)年、天皇がまだ16歳の時であったため、新政府が「少年を抱え込んだ」という形容もなされます。

 天皇が即位すると、中山大納言をはじめとして徹底的に宮中改革をしようという動きが起こります。先代の孝明天皇が宮中で生まれ育ち、即位後も最後までずっと宮中を離れない方だったからです。

 これは一見いいようですが、実は大問題があります。取り巻きが女官ばかりで、独特な雰囲気を持っている。そして、外の世界をまったく知らない。そして、孝明天皇は外国人が大嫌いで、徹底的な排他主義でした。そういう天皇では困るので、文武両道に秀で、率先して先頭に立つ天皇をつくりたいと大久保利通は考えていました。彼のイメージにあったのはヨーロッパの皇帝です。女官に囲まれて密室で育つような、なよなよした人間ではない。これは、非常に大きな転換だと思います。


●天皇が時間的・空間的な日本の象徴となる


 天皇誕生日は旧暦9月22日ですが、太陽暦では11月3日、これを「天長節」とします。なぜ天長節か。天皇は、時間的に、空間的に日本の象徴でなくてはいけないからです。

 明治天皇の時代をもって「明治時代」という。明治天皇が崩御されれば次の時代が来る。これは、天皇の人生と時代(元号)がいちいち連動する時間的支配です。江戸時代はそうではなく、天皇が変わっても時代の名前は変わらなかったり、天皇がいても時代は変わったりしていました。それを変えました(一世一元の制)。

 それから、空間的象徴についてですが、江戸時代天皇は、人々の目に留まりませんでしたが、明治では以下のことを行いました。2018年が150周年に当たりましたが、慶応4(1868)年の7月に江戸を東京(「東の都」)と改称し、9月20日に明治天皇の東京行幸が敢行されたのです。慶応4年は9月8日をもって明治元年になります。その10月13日、天皇は初めて東京の...
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