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ヨーロッパ中が感染したワーグナーの凄さ

クラシックで学ぶ世界史(9)帝国をつくったオペラ

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
ベートーヴェンを音楽の理想としたワーグナーは、彼のオペラに不満があった。より良い物語による演劇と舞踊と音楽を一体にした「総合芸術」こそ、ワーグナーの目標となる。さらにユダヤを仮想敵に据えて、空前絶後のナショナリスティック・オペラが出現する。(全13話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(10MTVオピニオン編集長)
時間:11:47
収録日:2019/08/26
追加日:2019/12/07
≪全文≫

●総合芸術の完成と近代市民の理想を夢見たワーグナー


片山 ベートーヴェンのオペラは『フィデリオ』だけでした。ワーグナーから見ると、『フィデリオ』は合唱ばかり活躍して、ドラマとしては物足りない。ワーグナーという人はお芝居が大好きな人でもあったので、ギリシャ悲劇などに匹敵するほど有機的な、ものすごく構築されたお芝居が欲しかったんです。

 そういう芝居と、ベートーヴェンの交響曲やピアノソナタのような、つくり込まれた音楽。そして、パリのグランド・オペラのような長大な時間の長さ。これらを全部束ねることによって、ベルリオーズの続きであり、ベートーヴェンの続きであり、そしてギリシャ悲劇のようなヨーロッパ演劇の伝統の続きが表現できる。さらにバレエの要素も入れたい。

 つまり、演劇、音楽、舞踊。それから台本もなくちゃいけないので、文学。以上が全部一体になったものをワーグナーは「総合芸術」と称して、これによって近代の市民が持つべき最高の芸術が完成するんだと考えた。

 それで、近代の市民は、パリの享楽的な人に象徴されるように、ただ楽しく贅沢をしていればいいんだというんじゃなくて、高い教養を求めているはずである。実際、そういう市民はちゃんといるじゃないか。そういう市民のニーズに対応したオペラをつくることこそ、彼にとって「自分の目的」なのだ。

 しかも、そのように凝集された芸術は、チャランポランなユダヤ的作品で分かるように、コスモポリタニズムやインターナショナリズムからは生まれない。特定の言語、文化と密着することで、フランスにはフランスの、ロシアにはロシアの、ドイツにはドイツの、イタリアにはイタリアのオペラが生まれるはずであり、やはり特定の言語と特定の文化にこだわらなくてはいけない。

 そうすると、神話的な世界や伝説的な世界(ワーグナーの場合はドイツ人だからドイツの神話や伝説)に基づいたオペラを、マイアベーアのようにチャランポランではなく、音楽的にはライトモティーフといわれるもの(「この人が出てきたら必ずこのメロディ」、「こういう話になったら必ずこのメロディ」)を設定して、音楽的にオペラの中もしっかり有機化する。ベートーヴェンの交響曲に負けないくらい、全てに理屈が立っていて、ただの思いつきで書いたのではないものにする。


●ユダヤを仮想敵に挑んだナショナリスティック・オペラ


片山 そのような作品をマイアベーアに負けないくらい長大にやる。となると、パリのオペラ座みたいなところではいけない。街中にあると、そばにおいしいレストランがあるので、みんな、途中で食事をしにいってしまう。だから、食べにいけないところでやる。それで、バイロイトでやることになるわけです。

――バイロイトでやるわけですね。

片山 もう山奥というか田舎というか、そこに閉じ込めて、徹底的に集中して見させる。それによって、ワーグナーが考える教養ある市民の理想としての、しかもコスモポリタニズムではなくナショナリズムと結びついた、ドイツ人のためのドイツのオペラが、ドイツ語でつくられる。だから、ドイツ語の響きというものと、やはり密着していなくちゃいけない。

 もちろんワーグナーの「指輪」でも、英語に訳してやったり、ロシア語に訳してみたり、お芝居として見るためには自分の国の言語に訳さないと面白くないということで、過去いろんな試みがありました。でも、意味が分かるか分からないかはともかくとして、やはりドイツ語で聴かないとワーグナーっぽくないということは言えるかもしれません。

 そういうかたちで、パリがコスモポリタニズムと結びつけたグランド・オペラを、ユダヤを仮想敵に「そういうものじゃない!」と言ってはねのけることによって、ドイツ語によるグランド・オペラにする。しかもそれはドイツの神話や伝説に基づくもので、それを見るとドイツ人がドイツ的なものを呼び覚まされるようにした。

 なぜそういうものをつくるかというと、ドイツは統一が遅れ、近代化が遅れていたからです。イギリスやフランス、あるいは時期的には普墺戦争でやっつけてしまう相手であるハプスブルク帝国よりも、国としてのまとまりに欠けていたのです。ついに普仏戦争によって、プロイセンを中心に「ドイツ帝国」は統一されるわけですけど、まさにワーグナーの生きた時代というのは、そのように遅れて近代化を目指すドイツが、ドイツ帝国へと束ねられていく時代でした。


●ワーグナーの音楽を聞くと、帝国ができる


片山 オペラとの関係はというと、ワーグナーが懸命にオペラをつくり始めた頃、ドイツはまだ統一されていない時代だったわけです。ワーグナーは、当時は独立エリアとみなされていたバイエルン国王などにたくさん出資してもらい、ドイツ的なオペラを一生懸命つくりま...
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