●共産主義の世界的な伝播の脅威
それでは、最後となる第五回の講義を始めます(編注:2回に分けてお伝えします)。マルクスの仕事、特に『資本論』について、そして共産党についてお話ししてきましたが、マルクス主義のその後の展開について考えてみようと思います。
今から100年以上前にロシア革命が起きた後、世界中は大騒ぎとなりました。このまま世界中がマルクス主義、共産主義の社会になるのではないか、と多くの人が心配していました。特に資本家や現体制を維持している人々は動揺します。ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなど各国にそうした動揺は波及していきました。
イギリスとアメリカはアングロサクソンの人々です。どういうわけか、アングロサクソンの人々は、マルクス主義の影響をあまり受けませんでした。対して、フランスやドイツではマルクス主義の影響は大きかったのです。イギリスやアメリカも、自国以外の国々が共産主義化することを憂慮しました。
日本や中国でも、それなりに共産主義の力が強くなり、動揺が起こりました。日本では知識人には大きな衝撃を与えましたが、現実的な運動としてはそれほど盛り上がりませんでした。中国では、知識人に大きく影響を与えただけではなく、現実の政治・社会運動として大きな力を持ち、国民党に打ち勝って中華人民共和国を建設しました。このように中国では共産主義が世界史の流れを大きく変えて、共産主義への懸念は現実のものとなりました。それ以外の国々でも、共産主義は大きな力を持ちました。
●中産階級の出現でマルクスの予言通りにはいかなかった
総じていうと、世界が共産主義の波に飲み込まれるということは起こりませんでした。さまざまな理由がありますが、現象的にいえば、マルクスが予言したように、労働者の運命が悪化の一途をたどるということはありませんでした。中産階級が出現したためです。
マルクスの予言によれば、プロレタリアートは生存水準かそれ以下の生活しか送れないようになるため、革命のみが希望となり、共産党に集結するとされていました。対して、中産階級には余裕があります。例えば、「自分が中卒だったから、子どもには高校や大学に行かせよう」とか、「借家ではなくて一戸建ての家に住もう」とか、「休みには旅行に出かけよう」など、全体的に余裕を持っています。余裕があるということは、失われる財産を持っているので、それをリスクにさらして社会を変える、あるいは共産党に入るなどとはあまり思わない。そのような人々が増えてきてしまったのが、現象的な理由です。
●革命の成功によって生まれた「マルクス=レーニン主義」
この根源を探っていくと、『資本論』の主張の正しさへの懐疑が生まれます。『資本論』の証明は、ある意味で完璧です。『資本論』のモデルが正しいとすれば、労働者は搾取され続け、資本家は搾取し続けます。すると、専門的な言葉でいうと、徐々に利潤率が下がっていき、簡単にいうと儲からなくなっていくことが証明されています。儲からなくなってきても、資本主義は儲けを生み出さなければ成り立ちません。
レーニンは、この状況で帝国主義が繁栄すると論じました。軍事力を用いて植民地に進出し、強引な手段で安く資源を入手し、ものを叩き売るなどして、資本主義を維持していこうと試みるのです。さまざまな国家が帝国主義的な拡大を目指すので、帝国主義戦争が起こります、帝国主義戦争は革命の好機となる、とレーニンは予言したのです。その予言の通り、第一次世界大戦が起こり、これを好機と見たロシア共産党は革命に成功しました。マルクス主義はレーニンによって現代に生かされ、革命に成功したゆえ、「マルクス=レーニン主義」と呼ばれるのです。レーニンはなかなか優れた人だったのです。
●『資本論』が依拠する理論は単純すぎる
ここまでは『資本論』の主張は的中しているように見えます。しかしその後、多くの中産階級が現れました。『資本論』の構造は、単純化し過ぎているきらいがあります。アメリカの近代経済学者のサミュエルソンは、マルクスの『資本論』に興味を持ち、その数学的構造を明らかにしようとしましたが、失敗しました。それを受け継いだ森嶋通夫という立派な経済学者が、『マルクスの経済学』という本を著します。日本の経済学者の置塩信雄氏の数学的モデルを取り入れ、『資本論』の数学的構造を明らかにしました。これはノーベル賞級の仕事です。余裕があって数学に明るい方は、ぜひ『マルクスの経済学』をお読みになっていただければと思います。
第1話で紹介した著書『労働者の味方マルクス』にも、さわりの部分だけ言及しています。簡単にいうと、ある経済メカニズムの下で、労働者の価値を定義するための条件について議論しています。非常に厳しい...