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シンパシーとエンパシーの違いと「教養」について考える

「教養とは何か」を考えてみよう(4)外国語から「教養」を考える

情報・テキスト
日本語の「教養」という言葉に相当する外国語には、「耕す」というニュアンスの英語“culture”とともに、「つくる」というニュアンスのドイツ語"Bildung”がある。両者の違い、あるいは重なりはどこにあるのか、日本人には分かりにくい。また、「同情・共感」を意味する英語“sympathy(シンパシー)”と“empathy(エンパシー)”の違いも、教養とは切っても切れない関係にある。(全15話中第4話)
時間:09:59
収録日:2020/10/26
追加日:2021/05/18
≪全文≫

●「教養」と訳してもいい二つの単語“culture”と“Bildung”の違い


津崎 「教養」という日本語を当ててもいい単語にもう一つ、ドイツ語の“Bildung”がある。“bilden”という動詞からつくられている“Bildung”。“bilden”は英語の動詞“build”や“form”だから、要するに「たてる」とか「つくる」ということでしょう。

 でも、かたやキケロの、「耕す」のような“culture”のイメージと、“bilden”や“Bildung”の「つくり上げていく」イメージとでは、同じ教養にしてもだいぶ違うと思うんだけど。

 例えば、さっちゃんという人がドイツに行ってさまざまな経験をしたという自己史を振り返るときに、自分をつくり上げてきたやり方というのは、耕していく感じなのか。それとも基礎をきちんと固めて、レンガを一個ずつ積み重ねていくような、本当に“build”して自分をつくり上げていったのか。どのように自分の過去を振り返ったりする?

五十嵐 うーん。

津崎 もっと言ってしまうと、“culture”と“Bildung”の違いは何だろう? 両方とも教養というふうに訳されるんだけど。

五十嵐 耕すのは、どうして耕さないといけないのかを考えると、固い畑だと種が落ちても何も咲かないから。でも、わたしたちは“culture”というか教養を身につけないといけないとしたら、わたしたちが最初は固い畑だから耕すのだとわたしは思うのね。

 まるでコンクリートみたいな固い畑で、「これはこう」というのがあったらもうそれだけを信じている。それは、何も成長しない、死んだような固い畑だけど、それを耕していくことで、例えばそこにいろんな可能性が生まれてくる、というか。

津崎 「可能性が生まれてくる」。うん。

五十嵐 そう、どんな種も排除することがなければ、畑にいろんな可能性が生まれてくる。例えば「この種だったら自分は育てることができるよ」という畑はまだあまりいい畑じゃなくて、本当にいい畑は、どんな種が来てもみんな育っていけるような畑。それを人間として考えたとき、“Bildung”というのは、だんだん積み上げていく感じがする。

津崎 うん。しかもしっかりした基盤の上にというか、がちがちに固めた基盤の上に、だね。


●人間同士が「立って向き合う」ためには「箱」も必要


五十嵐 ちょっとドイツびいきかもしれないんだけど、人が人と向き合うときというのは、人が立って目の前の人と向き合うことでしょ。それで、わたしたちは普段向き合っているかというと、向き合っていないとわたしは思っている。なぜ向き合っていないかというと、自分がどうあるべきかとか、自分の役割とか、属性──例えば自分が女だとか、いろいろ──、そういうことしか見ていないから。

 だから、目の前の人と、自分として向き合っていない。向き合えていない。ただ自分の役割を演じているだけ。相手から評価されるような、相手に受け入れてもらえるような自分をただ見せているだけ。そうじゃなくて、本当に耕された畑になってくると、「この種しか受け入れられない」ということではない。「どんな種に対しても」というのは、どんな相手に対しても、いつでも一人の人間として、立って向き合うことができるということ。わたしはそういう感じで“Bildung”を考えている。だから、最初は本当にただのコンクリートの畑。でも、それが立ち上がってくる、いい畑に“bilden”されていくという感じ。

津崎 なるほど。じゃあ、“cultura animi”の“cultura”、つまり"culture”も、“Bildung”の“bilden”していくことも、実はそんなに違わないんじゃないかと。

五十嵐 うん。“bilden”“Bildung”に「高くなっていく」というイメージがあるのは、前回「箱」の話をしたけど、(いろいろな知識が分類されて詰まっている)「箱」というのは無意味なものではなくて、やっぱり「箱」も必要というか。

津崎 なるほど。

五十嵐 例えば、ドイツ語の勉強をしないと、ドイツ人と一対一で人間として話せない。だから、ドイツ語の「箱」も必要なら、歴史という「箱」も必要。わたしも歴史の勉強はほんと辛くて、高校の世界史の授業も辛かったんだけど、世界史を学ぶことで、例えば戦争の後のドイツ人や、アジアのいろんな人たち、あるいはアメリカの人たちと、人間として向き合うことができる。

 そう考えていくと、「箱」も大事で、(「知識」としての)いわゆる「教養」も必要。でも、自分を拡大していくためにそれを身につけるんじゃなくて。

津崎 「拡大」ね。最初のほうで話したいなと思ったテーマが出てきたね。

五十嵐 だから、自分の「キラキラ増やし」のために「箱」の勉強をするのではなく……。

津崎 飾りをつけるためではなくてね。

五十嵐 そうそう。最初の動機はそれでもいいと思うんだけど。テストの点が取り...
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