●健全な魂を育む初等教育からトップになる人が受けるべき高等教育へ
プラトンはポリスの建設に当たって、子どもたちの教育をしていくためには2段階の教育プログラムが必要だということで、初等教育の部分について(前回)お話ししました。
現在の日本であれば、小学校に当たるような比較的まだ素直な段階で、ムーシケー(学芸)とギュムナスティケー(体育)の2つの柱によって子どもの魂を健全な形でつくりあげていく。そのときに、神様が嘘をつくとか人に害を与えているといった間違った考えは避ける。それにより、正しく勇敢な心を培っていくのが初等教育だったのです。例えば、英雄が「死ぬのは嫌だ」と嘆くようなシーンも御法度です。なぜかというと、これから戦士になる人たちなので、勇気を培わなくてはいけないからです。そのようなときに重要な英雄が嘆いているというシーンは駄目なのです。
その話が終わった後、少し飛びますが、次は第7巻で2つ目の教育論がなされます。そこまでの間はだいぶ空いていて、そこに今後お話ししていくことが挟まってくるのですが、そこは一旦先に飛ぶことにして、もう1つ別の教育論を語っている部分を見ていきます。
ここで話されるのは、選抜されて国のトップになるような人の中でも、さらにトップになる人が受けるべき究極の教育です。現在でいえば、大学で行われている高等教育のようなものだと思いますが、それが第2回目の教育論、第7巻における「数学的諸学科のカリキュラム」というものです。
●指導者たる哲学者になるための5つの学問
ここでは、「哲学者が国の指導者になるべきだ」という理論を述べた後、「では、どうやって哲学者を教育すべきなのだろうか」という問いに入ります。哲学者は自動的にできるわけではなく、長年をかけてカリキュラムに沿った勉学を磨いていって、ようやく一人前の哲学者になれるわけです。では、それをどうやっていくのかというプログラムが示されます。
現在でいえば「数学」に関連する5つの科目を順番にたどることによって、それは得られるといいます。ここでは順番も重要で、最初は算術(数の計算)です。2番目が平面幾何学、3番目が立体幾何学、4番目は天文学、そして5番目が音楽理論です。最後の音楽理論はどうしてかと皆さんはお思いになるかもしれませんが、これらを順番に上っていく。そして、5つの学問を修めた後に哲学がくる。それが、高等教育論になります。
順番に説明していきますが、以上の6つは一つずつステップを踏んで上がっていくことになっています。何を上がっていくのかというと、私たちが生きている、常に変化して全てが変わってしまう生成変化の世界から、純粋な永遠不変な実在の世界へと、ステップごとに上がっていく構造になっているのです。
もっというと、私たちが感覚的な世界に生きている中から、知性の世界へと上っていくという教育プログラムになってきます。これは、「魂を健全につくっていきましょう」「ちゃんとした考えを持ちましょう」という初等教育とは、大分違うプログラムです。
●数と図形を知ることから、抽象の世界思考へ
では、どのようにそれが為されるかというと、最初に数の問題と計算、単純にいえば、数をどう扱うかということです。小学校で私たちが一生懸命計算ドリルをやるようなものだとは思いますが、計算が速くできればいいというわけではありません。数という理念を知らなければならないということです。
例えば、1や2というのは何だろう。1と1が合わさると2にもなる。しかし、1というのはホワイトボード1枚も1だし、マーカー1本も1である。これらをあわせて2といえますよね、と。
一見当たり前のことを言っているように思えますが、こういう思考、モノを数で捉えていき、数と数の関係を見ていくというのが、実は非常に抽象度の高い思考なのです。これが、最初のステップになります。私たちの世の中で考えても、もちろん「数を見て取る」ということで、「数を数自体として扱うことができる」のが算術です。以上が最初のステップです。
これは、私たちが日常生活の感覚の世界からすこし離れ、知性が目覚める最初のきっかけを与えてくれるという意味になります。数の世界は不思議なもので、普段見ているのと全然違う構造があったりする。それを純粋に知的な刺激として楽しませる。最初の段階での、こういう教育が、真理探究の糸口になるわけです。
ここはまだスタート地点で、やがて平面幾何学に展開されていきます。小学校あたりから、平行四辺形がどうとか、「三角形Aと三角形Bは相似か」といった図形の問題に取り組みます。そういうことを通じて何ができるか。例えば、この図形とこの図形が相似である(私は今ちょっと変な形で描いているので、どう見ても、この三角形同士...