●近年の日本では、大規模な社会構造の変化が進展している
前回では増税の話をしてきましたが、増税だけを掲げていても、国民はなかなか受け入れ難いでしょう。増税に見合う根本的な安心材料がなければ、増税は受け入れられません。税を取る以上は、国民全体の安心社会を構築する必要があります。それはどのような社会保障システムなのか、これは一番大きな問題ですので、一緒に考えていきましょう。
まず認識すべきなのは、今の社会構造は、社会保障制度が構築された時代のものとは全く異なるものとなっているという点です。近年の日本では、大規模な社会構造の変化が進展してきています。今の社会保障制度は、そうした変化よりもはるか以前、1950年代から70年代の前半までの高度成長時代の経済環境、社会構造、そして雇用制度を前提に構築されています。
●高度成長時代に、年功賃金・終身雇用が定着した
当時、人口構造は若く、しかも急速に増大していました。家族構造は、大半の家族が親と子の2世代家族であり、その多くに子どもが2人以上いました。これが標準家庭だと呼ばれていたのです。また、高度成長時代ですから、1950年代の後半から1970年代の前半にかけて20年間、日本経済は年率平均で実質10パーセント以上の成長を続けていました。
人口が若く、しかも経済が持続的に成長するという期待がある中では、企業も当然それに沿った雇用をします。それが結果として、年功賃金・終身雇用という制度になったわけです。低賃金で多くの若年労働者を一括採用し、OJT(on the job training)と呼ばれる、企業内の職場での訓練を行いました。経験を積ませて、熟練工を育てることが目指されたのです。
当然、生産性は上昇します。それに応じて、賃金率を定期的に引き上げる、定期昇給も行われました。経済が成長を続けているので、一度採用した労働者が解雇されることもありません。したがって、一度雇われれば、同じ会社に一生勤続するという考えもできてきました。雇用期間の定めなく雇われている労働者、いわゆる正社員の発想です。
経済が成長していなかった時代には、雇用期間に定めのある臨時工はいましたが、今や経済はどんどん成長していきます。正社員化が加速し、臨時工は本当にわずかになりました。結果として、終身雇用と年功賃金という日本型雇用制度が定着したのです。
こうした家族構造、経済、雇用制度が存在する社会であれば、正社員に対する年金や病人に対する医療、事故などによる失業保険、さらには生活保護という社会保障制度は矛盾がありません。日本社会が急速に高齢化する中で、介護保険が2000年に加わりましたが、現行の社会保障制度は、1960年代、高度成長期初期には、すでに完成していたのです。
●人口オーナスの到来によって、経済成長の下駄が外された
ところがその後、経済環境がものすごく変化しました。高度経済成長が、1970年代前半の石油危機を契機に、終わってしまったのです。それまで平均年率が10パーセントあった経済成長は、その後20年間ほど、5パーセント前後になりました。1990年代、バブルが崩壊して以降は、経済はほとんど成長していません。あっても1パーセント程度です。しかも、2000年台初頭までデフレが続きました。この期間は「失われた20年」と呼ばれます。人々は経済は成長しないものだと、頭から決めてかかっています。こうした状況では、雇用や投資行動、家計行動にも変化が生じます。
さらに、もう一つ非常に大きな変化がありました。2000年代初頭から、人口が減り始めたのです。労働人口はもっと前から減っています。定常人口といって、同じ人口を維持するためには、出生率が2.08必要です。0.08が付け加わっているのは、病気や事故で死ぬ人口分です。出生率が2あれば、理論的には定常人口になります。終戦直後は出生率が5に達していました。高度成長時代にはかなり下落して、2に近づきました。最近では出生率は1.3程度です。こうなれば人口は急速に縮小します。
高度経済成長の原動力として大きかったのは、人口増加です。これは「人口ボーナス」と呼ばれますが、人口が減っていくことに関する言葉は「人口オーナス」と呼ばれます。人口オーナスの到来によって、経済成長の下駄が外されてしまったのです。
●就職冬の時代には、労働法の影響があった
経済環境が変化し、人口構造も大転換を遂げるとすれば、企業行動も当然、大幅に変化します。まず雇用行動が変わります。1990年代初頭から、就職冬の時代が始まります。大企業が新規採用をずっと停止し続けたのです。
ここには経済変動だけでなく、労働法の影響もありました。日本の労働法は特殊で、解雇法制が非常に厄介にできています。解雇には指名解雇と整理解雇があります。指名解雇とは、雇い主が誰か...