幸平氏が論ずる「気候崩壊の非常時だから計画経済へ」という言説は本当に正しいのだろうか。やはり、計画経済という劇薬は、どれほどプランを魅力的に語ろうとも、結果的には全体主義の影を帯びざるをえない。そもそも、インセンティブがない計画経済で資源の効率的配分や新たな創意工夫ができるかといえば、大いに疑問である。ハイエクが示した「下からの自生的な秩序」と「修正力」こそが重要なのだ。自由主義は一見、迂遠に見えるが、しかし結果として、長期的にも短期的にも最良の結果を招来する。ムッソリーニやヒトラーも論じた「自由主義は、現代の課題に対応できないからもう終わった」という議論の過ちを、繰り返してはならない。そのためにも、今こそあらためて自由主義を学ぶべきであろう。(全2話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●私的所有権のない社会には資源を効率的に使うインセンティブがない
―― 柿埜先生がこの『“自由喪失の危機”に読みたい自由主義の近現代史』の中でも書かれていますけれど、アダム・スミスがいうような「見えざる手」。
柿埜 ええ。
―― 例えば、石油が高いときには、では石油の代替となる物を作りましょうということを、それぞれが利益に基づいてギリギリ考えるわけですよね。工場や施設をどう使うかということもギリギリ考えていって、その中で皆がその動機を働かせてやっていくので、おのずと代替の方向に収斂していくというようなお話ですけれども、それが計画経済ではできないというところなのですか。
柿埜 結局そういうことなのです。自分のお金を使って自分のためになる何かをしようとしている人は、真剣に考えるはずですし、失敗しないようにもするでしょうし、正しい行動を取ろうという動機がもちろんあります。
ですが、他人のもの、公共のもの、コモン、少なくとも自分のものとはいえないものを使って、皆のものを使って、自分のためになるわけでもないことをやるという企業は、すごく公平無私の聖人のような人ならどうだか分かりませんが、皆がもちろんそうでないのは当たり前です。それで、どういった動機があるかということを考えると、基本的には何も動機はないのですね。どうでも良いわけです。
―― だからソ連の場合にはノルマを課したわけですよね。「生産高をこれだけ作りなさい」ということをいって、ノルマや生産高がクリアできればOKですよという流れだったので、むしろそこを野放図に行なってしまって先進国よりも環境汚染がひどかったとか。
柿埜 そうです、そうです。
―― それがだから逆にいうと、この斎藤先生の『人新世の「黙示録」』の中では克服できるとおっしゃっているということですよね。
柿埜 ええ。克服できるとおっしゃっているのですけれども、しかし今お話ししたように、別に企業としては、皆のものであり公共のものである資源を効率的に使わなければいけないインセンティブが存在しないということなのです。要するに情報は確かに集められるかもしれない――私はこれも無理だと思いますけれども――情報を集めたとしても、その情報を効率的に使って、何か効率的にモノを創るという動機が、それを集めた側には存在しないということなのです。
例えば、それがも...