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もう一つの問題は、不戦条約と呼ばれるケロッグ・ブリアン条約(昭和3年〈1928〉)だ。これは、フランスのブリアン外相とケロッグ米国務長官の間で交渉が行なわれ、多国間条約として提案されたもので、第1条に「締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴ふることを非とし、かつその相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言」するとある。
日本国憲法9条第1項に書いてあることと、非常によく似てはいないか。
田中義一内閣(昭和2年〈1927〉4月20日~4年〈1929〉7月2日)は、この条約が自衛権を否定していないことなどから同条約を批准した。ところが第1条の「人民の名において」という文言が、明治憲法が定める天皇の統治大権に抵触するのではないかという議論が起こり、田中内閣は窮地に立たされ、そのとき全権として調印した内田康哉が枢密顧問官を引責辞任している。
後年の東京裁判では、日本がこの不戦条約にも違反したとして裁かれているが、とくにアメリカには、日本をそのように断罪するに足る資格があるとは思えない。
というのも、この条約の草案段階で、米議会は「アメリカ人は戦争を悪いとは考えていない」と反対しているのである。ところがケロッグ国務長官は「これは侵略戦争を止めるための条約である。自衛の戦争はやってもいい」と答弁し、「侵略戦争とそうでない戦争はどこが違うのか」という質問に対しては、「侵略戦争とは攻め込まれて国境を侵されたということだけでなく、経済的に重大なる圧迫を加えられたときも侵略戦争と認める」と答えたのだ。
ならば、航空用ガソリンやくず鉄の禁輸、石油の全面禁輸などで日本の経済封鎖を進めたABCD包囲陣は、まったくの不戦条約違反である。日本が不戦条約に違反し、侵略戦争を行なったなどと、アメリカにはいわれたくないと私は思う。


