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アジアの解放を成し遂げようという動きが在野に広まる

本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(11)尊王攘夷とアジア主義

渡部昇一
上智大学名誉教授
概要・テキスト
孫文
日英同盟を破棄した当時、日本国民に反英思想はなかったが、後年、反英感情が煽られていった。その背景には明治維新以来、西洋列強に対抗してきた「尊王攘夷」や、日清・日露戦争後に広まったアジア主義の気風があった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第二章・第11話。
時間:01:27
収録日:2014/12/15
追加日:2015/08/17
タグ:
≪全文≫
 実際に当時の一般の日本国民に反英思想はなかった。ずいぶんあとの話になるが、私が中学に入ったのは昭和18年(1943)である。当時はすでに日本軍がシンガポールを陥落させ、ビルマ(現・ミャンマー)のマンダレーも落としていた頃だ。にもかかわらず、英語の教科書はイギリス王家の紋章を表紙にあしらった『ザ・キングズ・クラウン・リーダーズ』という本で、イギリスの生活について書かれていたものだった。昭和19年までは、英語の教科書にしてもそうだったのである。

 後年、日本で反英感情が煽られていったことは事実だが、それにも事情がある。

 明治維新以来、日本国内には「尊王攘夷」、すなわち西洋の帝国主義・植民地主義に対抗しようという気風は脈々と存在し続けていた。西欧列強の脅威から国を守るために維新を起こしたようなものだから、当然といえば当然である。

 日本が日清・日露の両戦争に勝ち、自国の安全を存分に確保する状況になると、さらにアジアの人々と連携して、アジアの解放を成し遂げようというアジア主義の動きが、とくに在野勢力を中心に根強く広まっていくことになる。孫文らを助けて中国革命を支援したり、インドの志士たち(たとえば新宿の中村屋に匿かくまわれたラス・ビハリ・ボースら)を助けてインド独立を支援したりするような動きを主導したのは、まさにそのような勢力である。当時、アジアで最大の植民地を誇っていたのがイギリスだから、そのようなアジア主義者たちがイギリスに対する敵愾心(てきがいしん)を高めていくことは、必然といえば必然であった。

 一方、イギリスも日英同盟の破棄後、ソ連がコミンテルンの活動を通じて中国における民族主義を煽動して、排外運動・革命運動を高めていくと、その矛先を自分の国から日本に向けるように仕向けるように動いている。

 たとえば昭和14年(1939)4月に天津のイギリス租界で親日派の華北臨時政府の要人が暗殺されたが、イギリス側は犯人引き渡しを拒否するようなこともあった。それをきっかけに同年6月、日本軍は天津のイギリスおよびフランス租界を封鎖することとなる。もともとイギリス租界で、宣教師などが反日感情を煽るなどの利敵行為が行なわれていたことも背景にある。租界の封鎖にはイギリス側もさすがに怒ったと思うが、日英同盟が廃止されてから、かなりあとの話だ。
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