研ぎ師はお礼奉公の1年で「繕い」の秘伝を覚える
刀匠・松田次泰に聞く―日本刀のつくり方(7)甲伏せ
言葉にしにくい職人の知恵を「鉄と火の科学」と照合して、現代の日本刀づくりに生かし続ける刀匠・松田次泰氏。しかし、メディアは表面的なことで判断することが多い。工程は皮鉄で心鉄をくるんでいく「甲伏せ」に入っていくが...
収録日:2017/03/22
追加日:2018/01/09
学校では学べない船場商人の思想を9歳で学ぶ
松下幸之助の経営理念(3)原点は船場の丁稚奉公
松下幸之助が生涯経営に向かった原点は、大阪船場での丁稚奉公にある、と公益財団法人松下政経塾理事長・佐野尚見氏は言う。貧乏な家に生まれ、体力も弱く、教育さえ満足に受けられなかった幸之助を支えたパワーはどこにあった...
収録日:2016/02/18
追加日:2016/06/09
失敗から学んだ石田梅岩、独学で教養を高めた少年期の体験
石田梅岩の心学に学ぶ(2)梅岩の教養を育んだ少年期の体験
江戸の町人の例に漏れず11歳で奉公に出た石田梅岩だが、奉公先の商家の事情から15歳で帰郷する。失敗ともいえるこの体験が梅岩思想に与えた影響は大きいと言う田口氏。郷里へ戻った梅岩が23歳で再び奉公するまでの記録は残って...
収録日:2022/06/28
追加日:2024/04/15
北条家と武田家の全面戦争で顕著になった「御国」の論理
百姓からみた戦国大名~国家の本質(7)「御国」の論理の誕生
戦国大名の構造改革にとって重要なのは、目安制の導入である。これにより、室町時代にはなかった村による大名への直接訴訟権が認められ、万人(村)に開かれた裁判制度が成立した。また、これは村同士の戦争を抑止するものとな...
収録日:2019/03/20
追加日:2019/10/27
無料で開講した石田梅岩、師・小栗了雲から学んだ「無心」
石田梅岩の心学に学ぶ(3)神道布教の志と「無心」
石田梅岩は20代の頃、二度目となる奉公に出るとともに勉学にも力を入れていく。それを支えたのは、当時京都で隆盛だった吉田神道(唯一神道)をさらに普及させようという志だった。やがて8代将軍・徳川吉宗の世となり、40代を迎...
収録日:2022/06/28
追加日:2024/04/22
刀鍛冶に必要な道具は「頭」しかない
刀匠・松田次泰に聞く―私の刀工修行(2)徒弟制度
刀鍛冶の仕事というのはずっと火と鉄に向き合う仕事だが、刀匠・松田次泰氏はけがをしたことはないのだろうか。その質問を向けると、話題は昨今の危機管理にまで及ぶ。刀工に限らず職人の世界を律していた「ことわざ」や「徒弟...
収録日:2017/03/22
追加日:2017/12/10
松下幸之助の経営の土台にあるのは人生観や人間観
生き続ける松下幸之助の経営観(2)人生観と人間観
松下幸之助は、経営者であるとともに思想家であり、人間観や人生観に裏打ちされた経営観を持つと、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は語る。彼が亡くなって30年たった今でも語られ続けているのは、それが土台と...
収録日:2018/05/31
追加日:2018/10/14
松尾芭蕉と与謝蕪村――江戸の俳人が表現した粋な遊び心
江戸とローマ~哲人と俳人(2)蕪村と芭蕉の風流
自然を題材にすることの非常に多い日本の詩歌だが、そこに「風流」を表現した江戸の俳人の中から与謝蕪村と松尾芭蕉の句を取り上げる。季節の風物を詠んでもどこかおかしさだったり、王朝の歌や絵の影響を匂わせる蕪村。自由気...
収録日:2021/09/16
追加日:2023/09/28
実力主義の織田家中で巻き起こる重臣たちの激しい派閥抗争
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(6)派閥抗争
これまで学校の社会科の授業では、「本能寺の変」を明智光秀の単独謀反と教えられてきたはずだ。しかし、新旧の勢力が入り乱れた中国・四国の情勢、その様子を瀬戸内海の真ん中からうかがう「鞆幕府」などの思惑を考えると、事...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/03/08
「正直」の徳を最初に唱えた鈴木正三『万民徳用』とは
石田梅岩の心学に学ぶ(7)鈴木正三『万民徳用』を読む(上)
鈴木正三は、三河武士から出家して『盲安杖』や『万民徳用』を著した人物である。特に『万民徳用』では、「世法即佛(仏)法」を根拠に、士農工商それぞれの職分を全うすることが仏教修行に当たるとして、在家の教化に務めた。...
収録日:2022/06/28
追加日:2024/05/20
幸運と不運はあざなえる縄のごとし…非行少年の運と実力
運と歴史~人は運で決まるか(3)幸運と開運
「幸運」と似た言葉に「開運」があるが、この二つは歴史的にみると少し違うと山内氏は語る。かつて或る国に非行少年だったが運にめぐまれて宰相に上り詰めた男がいたが、彼は本当に幸運だったのか。そもそも幸運とは何か。また...
収録日:2024/03/06
追加日:2024/05/02
経営の神様から学んだ「国家経営」という考え方
四人の恩師
政治家・前原誠司氏にとって、欠かすことができない四人の恩師がいる。国際政治を学んだ学生時代、松下政経塾の頃、そして政治家になってからと、大事な時期に前原氏を支えた恩師たち。その人物像について、前原誠司氏が熱く語る。
収録日:2014/03/20
追加日:2014/06/05
長州藩と薩摩藩、越前藩の間にあった決定的な違いとは?
幕末長州~松下村塾と革命の志士たち(04)幕府とラジカルな長州藩
なぜ長州藩は強大な力を蓄えることができたのか。その背景を考える上で大事な視点がある。それは、幕府との関係性である。本編では、薩摩藩、越前藩との決定的な違いから長州藩が幕末に雄藩となった背景を読み解く。(シリーズ...
収録日:2014/12/15
追加日:2015/01/25
「水道哲学」は貧乏克服、「産業報国」は商人の誇り
松下幸之助の経営理念(2)創業から戦後への歩み
パナソニック株式会社の「信条・綱領・七精神」をはじめ、松下幸之助は数多くの理念を文章化している。もちろん企業としての経営理念が中心だが、個人・社会人として見ても人生哲学に通じるものがある。今回は、「経営の神様」...
収録日:2016/02/18
追加日:2016/06/06
明智光秀の家系図から読み解く人間関係
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(4)信長の西国御出馬その2
系図は一族代々の系統を書き表すもので、封建社会では特に重んじられていた。では明智光秀の系図はどのようなものなのか。本能寺の変の真実に迫るべく、二つの図を参照しながら、光秀をめぐる人間関係、そして当時の織田家にお...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/02/22
GHQによる占領下の中、行われた間接統治の実態
戦後復興~“奇跡”の真実(3)間接統治の実態
1945年9月、GHQが設立され、日本はその占領下に置かれることとなった。この時、日本史で唯一ともいえる異民族による支配を経験するわけだが、そこで取られたのは間接統治という形だった。東久邇宮内閣の総辞職を受けて幣原喜重...
収録日:2019/07/23
追加日:2019/08/20
戦後復興を可能とした最大の要因は起業家たちの意欲と努力
戦後復興~“奇跡”の真実(10)松下幸之助の哲学
終戦直後の惨状を考えると、日本の戦後復興は“奇跡”と呼んでも過言ではないほど目覚ましいものだった。島田晴雄氏は、そうした復興を可能とした最大の要因は、新しい起業家たちの意欲と努力、その主体的な行動にあると論じる。...
収録日:2019/07/23
追加日:2019/09/10
「最初の近代人」レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』
ルネサンス美術の見方(4)レオナルド・ダ・ヴィンチ~前編~
2019年は、レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年に当たるが、彼の功績はいまだに解読し尽くされていない。しかし、彼の重要性は、彼が「最初の近代人」であるという点にある。美を追求するだけでなく、観察に従った描写を目指す...
収録日:2019/09/06
追加日:2019/11/13
明智光秀はいつどこで生まれたのか~出生の謎に迫る
明智光秀の真実(1)謎につつまれた前半生
本能寺の変のイメージもあり、「主殺しの悪人」「謀反人」といった言われ方もする明智光秀。とりわけ前半生など、謎が多い人物でもある。しかし小和田哲男氏は、「非常に真面目で、学識や教養もあり、部下思いのいい武将だった...
収録日:2019/11/22
追加日:2019/12/31
政治家としての明智光秀、知られざるその実像
明智光秀の真実(3)織田軍団での光秀の存在とその役割
織田家家臣として、羽柴秀吉に並ぶスピード出世を遂げた明智光秀だが、彼のどんな点を織田信長は買っていたのだろうか。また、同時代人には、光秀と秀吉の関係はどう映ったのか。さらに領主としての光秀の政策を通し、政治家と...
収録日:2019/11/22
追加日:2020/01/07
松下幸之助と船場商人はどこに違いがあるのか
松下幸之助と人間大事の経営(5)行即道場と日本流経営
松下幸之助は少年時代に大阪の船場に丁稚奉公に出ているが、松下幸之助と船場商人はどこが違うのか。幸之助の面白いところは、「私」が基本的な考え方である船場で学びながら、「公」という考え方を自分の中に持ち込んだことだ...
収録日:2019/08/20
追加日:2020/07/26
理念を自分の腹に落として行動していく「野獣性」の大切さ
真のやる気とは何か(11)生き方ではなく、死に方を考える
いかに生きるべきかを考えるのが文学だが、生き方は「死に方」を定めなければはっきりしない。「自分はいかに生きるべきか」ばかりを考えていると、エゴイズムに陥ってしまう。一方、「死に方」を考えると、「誰かのため」とい...
収録日:2020/04/10
追加日:2020/09/11
学生闘争の街頭封鎖に知事の力で対峙せよ…国家革新の論理
石原慎太郎と三島由紀夫と近衛文麿(2)都知事・石原慎太郎への時代的経緯
石原慎太郎氏の著書『慎太郎の政治調書』を読むと、国会議員に初当選した当初から都知事を視野に入れていたことが窺える。その理由は、学生運動が盛んだった当時の時代状況も大きく関係している。国会議員ではなく都知事として...
収録日:2022/03/18
追加日:2022/06/15
なぜ家康は東照大権現になったか…その意味と天海の狙い
徳川家康の果断と深謀~指導者論と組織論(2)徳川将軍家が最上位に立つデザイン
「一元化をはかり、明確に上に立つ」――徳川幕府が260年の天下泰平を築けた1つの要因は、力の一元化を図り、トップは自分だということを明確に見せたことにある。鎌倉幕府も室町幕府も、そこが曖昧だったことに加え、朝廷という...
収録日:2022/09/14
追加日:2022/12/06
公衆便所の名前になった皇帝ウェスパシアヌスのユーモア
江戸とローマ~下水道と肥溜め(2)江戸とローマの便所事情
日本の便所は「かわや」「せっちん」「はばかり」などと呼ばれ、「せっちん」を「雪隠」と書くようにあまり人の行きたがらないような場所に置かれたが、そうした家の構造が普及したのは江戸時代だった。江戸は循環社会とよくい...
収録日:2021/09/16
追加日:2023/08/30
皇帝ネロへの反骨心…哲人ペトロニウスが見せた粋な生き方
江戸とローマ~哲人と俳人(3)ペトロニウスとセネカ
今回は皇帝ネロに仕えた二人の哲人を紹介する。『サテュリコン』を著したペトロニウスは宮廷の「優雅の審判官」と呼ばれて快楽と遊興を手解きし、セネカは政治の舵取りもする哲人として皇帝を導いた。いずれもやがて不興を買い...
収録日:2021/09/16
追加日:2023/10/05
徳川幕府を動かした「大奥」の強大な政治力とスキャンダル
江戸時代を支えた大奥(2)政治を動かした大奥の女性たち
プライベートな空間を取り仕切る場としてつくられた大奥だが、その役割は政治にも及んでいた。とくに人事面においては、その人脈を武器に表の政治を支えた大奥の女性たちがいた。大奥で存在感を発揮した歴々の女性の活躍を追う...
収録日:2023/08/21
追加日:2023/10/22
最善が堕落したものは最悪である…無限なのは理想や魂のみ
日本企業の病巣を斬る(3)足るを知る
日本の企業には伝統的な成功パターンがある。三井越後屋は地域密着型の商売を行い、300年繁栄を続けているが、これは当主が「足るを知る」をわきまえていたからだ。ローマ帝国の有名なことわざに「最善が堕落したものは最悪であ...
収録日:2023/10/18
追加日:2023/12/15
武士の誇りにも影響…中世のヨコ社会から近世のタテ社会へ
『タテ社会の人間関係』と文明論(4)ヨコ社会からタテ社会への転換
江戸時代以前の日本社会では「ヨコ型」の要素も多く存在しており、象徴的な言葉として中世の日本にあった「兼参」を紹介する呉座氏。兼参とは複数の主君に仕えることで、つまり中世ではリスクヘッジとして複数の集団に属するこ...
収録日:2024/05/27
追加日:2024/08/29
遊女の実像…「苦界と公界」江戸時代の吉原遊郭の二面性
『江戸名所図会』で歩く東京~吉原(1)「苦界」とは異なる江戸時代の吉原
『江戸名所図会』を手がかりに江戸時代の人々の暮らしぶりをひもとく本シリーズ。今回は、遊郭として名高い吉原を取り上げる。遊女の過酷さがクローズアップされがちな吉原だが、江戸時代の吉原には違う一面もあったようだ。政...
収録日:2024/06/05
追加日:2024/11/18